【取材記事】88歳を楽しく生きる。いくつになっても前向きに人生を楽しむ。

いつでもグリーン

二人の子供を育て上げ、10年前に夫を亡くした88歳の女性に話を聞いた。今は、長女と二人で穏やかで楽しい日々を送っている。

震災で自宅半壊

震災前は、一軒家の自宅で夫と二人で穏やかな暮らしを送っていた。ところが2011年3月、あの日を境にすべてが変わった。揺れが収まった後、恐る恐る家の外に出ると、ブロック塀が崩れ、瓦が落ちていた。幸いにも命は無事だったが、家は大きく傾いていた。
 その数週間後、夫が突然倒れた。脳梗塞だった。介護が必要になり、夫は施設に入所することになった。自宅を修復して一人で暮らしていけるのだろうかと不安が心にのしかかった。

娘と同居

そんな中、長女から「一緒に暮らそう」という申し出があった。子どもに厄介になるのは本意ではなかったし、40年近く過ごした家を離れることには強い抵抗があった。庭の木々や、ふとした柱の傷跡に家族との思い出が詰まっていたからだ。それでも、これから年齢を重ねていく中で、たった一人で暮らしていくことへの不安が勝った。「もし子供が一緒に暮らそうと言ってくれるなら、思い切ってそうしよう」。そう決意し、2012年に娘との同居を選んだ。

娘が仕事から帰ると、つい『おかえり』と声をかけるだけで、それ以上の会話は控えてしまった。『疲れているだろうから』と気を遣ったつもりだったが、娘は気付いていたようだ。


『お母さん、夕飯作るの手伝ってよ。食べながら話そう』

その一言で、私は少し肩の力が抜けた。それからは、夕食の準備を一緒にするようになった。私は野菜を切り、娘は味付けを担当する。『今日はちょっと味が濃かったかな?』『でも美味しいよ!』そんな他愛もない会話が、昔の家族団らんを思い出させた。

見知らぬ街での新生活、夫の他界

近所に知り合いもおらず、家の勝手も違う。最初は不安だらけだった。それでも、娘と一緒に料理をしたり、夕食後にテレビを見ながら何気ない会話を交わすうちに、次第に心が和らいでいった。

2015年には夫が他界。悲しみは大きかったが、その頃には娘との生活にすっかり慣れ、新しい街にも馴染んでいた。もう一人ではない」という安心感が心を支えた。以前は、一日中ほとんど誰とも話さずに過ごすこともあったが、今は娘とのおしゃべりが日々の楽しみになった。精神的にも経済的にも不安がなくなり、穏やかな日常が続いている。

体操教室と食料品の買い物が日課

現在は、近くの体操教室に通うことと食料品の買い物が日課だ。教室では顔見知りの人たちと「元気だった?」と笑顔で声を掛け合い、軽く汗を流す。買い物の帰り道には季節の花を見つけて足を止めることもある。「無理をしすぎず、でも自分のことは自分でやりたい」。そんな思いで、できるだけ自立した生活を送っている。

ふと、夫と一緒に過ごした家や、震災前の平穏な日々を思い出すこともある。それでも今は、「ここでの生活が私の居場所だ」と自然に思える。88歳の今、穏やかで楽しい毎日を噛みしめている。

2012年の決断を振り返って

振り返れば、あの時娘と一緒に暮らす決断をして本当に良かったと思う。一人暮らしを続けていたら、こんな風に誰かと食卓を囲むこともなく、誰にも気付かれずに過ごしていたかもしれない。
88歳の今、体は少しずつ衰えているけれど、心は穏やかだ。昔は『老いる』ことが怖かった。でも今は違う。娘と笑いながら食事をし、体操教室で他愛ないおしゃべりをする。それだけで幸せだと思える。
あの時の選択が、今の幸せをもたらしている。

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